mogのブログ

アラフィフのバイト

身長縮む

独身の頃161㎝→現在159㎝


少しずつ低くなり、とうとう今年の健康診断で150㎝台になりました。


マイナス2㎝。


2㎝はどこへ行ってしまったのか。


原因をネットで調べてみると殆どの情報がこれになりました。


①加齢による水分減少

②加齢による骨粗鬆症

③加齢による姿勢悪化


加齢による…

この年齢なら背が縮んで正常ということでしょうか。


ただ急激に縮むのは良くないらしいです。


70歳ぐらいまでに3㎝ほど縮むらしい。


3㎝はどこへ行ってしまうのか。


ネットの情報をいくつかまとめるとこんな感じ。


①水分減少により椎間板の水分も不足し薄くなる。

②骨密度がスカスカになり圧迫骨折で椎体が薄くなる。

③骨は縮まないが曲がることにより背丈は縮む。


どうやら失った3㎝は戻ってはこない。


対策はこれ。


①水分を取る。

②骨密度を高める。

③姿勢を正す。


これで防げるのならば、もっと早く対策しておけば良かったと少し後悔しています。


今からでも遅くはないと思いますが。




伏見稲荷大社

狛犬ではなく「狛狐」というご紹介でいいのでしょうか。

稲穂をくわえています。

背骨のラインが美しい。




夫は私よりも三つ歳上です。

きっと夫も縮んでいるはず。


期待しながら夫に確認したましたが、なんと、夫は縮んでいませんでした。


悔しいけれど仕方ないかな。


夫の生活習慣は過酷です。


毎朝5時起き→走る→拳立て100回が朝の日課です。

一日に一万歩を歩くという目標もあります。


夫は自信を持って拳立てをすすめてきます。


夫の背が縮まないのは拳立てのおかげなのでしょうか。


夫「加齢により筋力が衰えるから若い頃よりも多く筋トレしないとダメだよ」


とのことです。


一緒に運動しよう、と誘ってきます。


もう何回か言われていますが、あやふやにして断っております。


拳立て100回とか無理。


困った。


何も聞かなければよかった。



反対側の狛狐

何もくわえていませんね。

凛とした姿が美しいです。

素敵。


夫には、凛とした態度で断らねば…

オジサンの言葉

若い頃、オジサンと呼ばれる中年男性に言われた言葉がある。


オジサン「君はね、50歳まで綺麗でいられるよ」


褒めたつもりなんだろうけど複雑。

どうやら綺麗な60代は想像できなかったらしい。


続きがある。


オジサン「君はね、若いってだけでもう素晴らしいのよ」


そんなわけない。

若いだけで何ができるんだよ。

20代の私はそう思った。


昔のオジサンは女性の扱いが下手というか、生き方が不器用というか、何様というか。


ただ、間違ったことは言っていなかったかもしれない。

今はオジサンの言葉がわかる。

美しさには期限があり、若いって素晴らしい。



琵琶湖博物館内

大人のディスカバリールーム、

という場所があります。

展示物を観察してスケッチできます。

これは娘による蝶々です。



早いもので、

そのオジサンが言う50代となりました。


突然、おでこにシワ線が一本。


今までおでこにシワはなかった。

目尻にもまだシワはない。


これは、、、?


娘に聞いてみました。


私「おでこに線が一本見えるのだが、これは何?」


娘「ママ、それは第三の目」


第三の目…

なるほど。

若い子は想像力が豊かである。

未来が無限にある脳は素晴らしい。


おでこにできた線は大ジワの前兆でしょうか。

マッサージしながら一日を過ごしました。

良かったのか、わかりませんが、

翌日に無くなりました。✨


やはり大ジワの前兆だったのか。

娘が言う第三の目だったのか。

ただ第三の目は眉間にあるらしいので場所が違う。

あるとするならば場所的には第四の目になるのか?

謎です。

次に出てきたら、

第四の目と呼ばせてもらうことにする…



娘は好きなことや得意なことを仕事にしたいとか。

未来は無限にある。

羨ましい。

小さい

30代の頃の話ですが、

職場に「老眼組」という女子グループがありました。

老眼鏡を使って仕事をする人たちにより命名されました。


老眼組はいつも一緒に仲良く老眼鏡をかけ、毎日のように同じ会話をしていました。


聞こえてくるのは病気や更年期の話。

いつも体調の話で盛り上がっていました。


老眼鏡をかける時にわざわざ「老眼なのよ、見えないのよ、」と言いながら装着する人たち。


ただ老眼鏡を使って仕事をするだけなのに、なんでこんなに騒ぐのかわからなかった。

普通に黙って老眼鏡で仕事したらいいのに。


今はわかる。

自分は浅はかだったのだ。


今、私の目の前に迫っている老眼鏡との共存。


納得できないし、認めたくない。


ここまで切磋琢磨して成長して社会に貢献して家族を支えて親になって子供が成長して、ようやっと落ち着いたかな、となった途端に衰える。

あんまりではないか。


これから自分の時間も増えるかな、となった途端に目が衰えるとか。

どんだけ非情な作りになっているのか。


気持ちは変わらないのに、見た目だけが待ったなしで衰えていく。

いったいどうしたらいいのさ。



琵琶湖博物館内

昭和のお家が展示されています。


リビング

みんなで正座してご飯ですね。


キッチン

おかずは煮物で決まり。


お風呂

湯船では座りたい。


物干し竿

割烹着を着たお母さんが出てきそう。


お家にいるお母さんに憧れていました。

帰宅したらあたたかく迎えてくれるお母さんがいて、美味しいお料理が用意されて。

いちいちうるさいことを言うお母さんに、ちょっと反抗してみたり。


叶わなかった子供時代だったから、自分の子供にはそういうお母さんでありたいと思ったものでした。


そんな大きなお母さんにはなれなかった。

老眼鏡だけでわたわたするような小さい母親です。