小さい
30代の頃の話ですが、
職場に「老眼組」という女子グループがありました。
老眼鏡を使って仕事をする人たちにより命名されました。
老眼組はいつも一緒に仲良く老眼鏡をかけ、毎日のように同じ会話をしていました。
聞こえてくるのは病気や更年期の話。
いつも体調の話で盛り上がっていました。
老眼鏡をかける時にわざわざ「老眼なのよ、見えないのよ、」と言いながら装着する人たち。
ただ老眼鏡を使って仕事をするだけなのに、なんでこんなに騒ぐのかわからなかった。
普通に黙って老眼鏡で仕事したらいいのに。
今はわかる。
自分は浅はかだったのだ。
今、私の目の前に迫っている老眼鏡との共存。
納得できないし、認めたくない。
ここまで切磋琢磨して成長して社会に貢献して家族を支えて親になって子供が成長して、ようやっと落ち着いたかな、となった途端に衰える。
あんまりではないか。
これから自分の時間も増えるかな、となった途端に目が衰えるとか。
どんだけ非情な作りになっているのか。
気持ちは変わらないのに、見た目だけが待ったなしで衰えていく。
いったいどうしたらいいのさ。
琵琶湖博物館内
昭和のお家が展示されています。
リビング
みんなで正座してご飯ですね。
キッチン
おかずは煮物で決まり。
お風呂
湯船では座りたい。
物干し竿
割烹着を着たお母さんが出てきそう。
お家にいるお母さんに憧れていました。
帰宅したらあたたかく迎えてくれるお母さんがいて、美味しいお料理が用意されて。
いちいちうるさいことを言うお母さんに、ちょっと反抗してみたり。
叶わなかった子供時代だったから、自分の子供にはそういうお母さんでありたいと思ったものでした。
そんな大きなお母さんにはなれなかった。
老眼鏡だけでわたわたするような小さい母親です。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。