シェルティ
伏見稲荷大社の中へ進むと、こんな狛狐が。
犬のような狛狐
私はある犬を思い出しました。
ハチ…
ハチは今でも渋谷の駅でご主人様を待ち続けております。
雨の日も…
ハチはいつまで待てば良いのか。
犬は待ち続けるのが得意なのだろうか。
昔、シェルティを飼っていた。
仕事で疲れて帰宅すると、このシェルティだけが温かく迎えに出てくれた。
「待ってたよ、お帰りー」と言っているのか、ワンワンとうるさかった。
尻尾がバシバシ当たるし、頭を撫でるけれど興奮していて動いてしまうから、それに合わせて頭をいい子いい子するのが大変だった。
私からずっと離れないシェルティ。
なにを待っているのか、私はわかっている。
「お散歩行こうか?」
この言葉を待っているのだ。
「お散歩行こうか?」
シェルティは首を大きく傾げて目をぎらぎらさせて私を見るのです。
お散歩では時々振り返って私がちゃんと来ているのか確認しているようでした。
リードで繋がれているのに。
私「楽しいね」
シェルティは笑ったような顔をしてお口をハグハグさせてお散歩するのでした。
シェルティ「楽しいよね」
そう言っているように思いました。
散歩は大変でしたが楽しかった。
いつでも側にいてくれた。
泣いている時、怒っている時、大笑いしている時、いつでも私の側にいて寄り添ってくれました。
その時はわからなかったけれど、いなくなってから気がつきました。
シェルティはいつも私を見ていた。
私の気持ちを察して私を元気つけようと、慰めようと、あの手この手で私を楽しませようとしていました。
いなくなってから気がつきました。
後悔しています。
もっと遊べたし、もっと一緒に居ればよかった。
病死の後、ペット葬儀で火葬してもらいました。
手紙も一緒に入れてもらいました。
感謝の手紙。
生きている時に伝えるべきだった。
ずっと泣いた。
火葬が終わり、骨となって戻ってきました。
火葬場の方が言いました。
「全て持っていかれたようです」
確か、他にもお気に入りのものや、普段は食べられなかったお肉なんかも入れたように記憶しています。
全て持って行ったのか、本当に持って行ったのか、感謝の手紙も持っていったのか?
読めたかな。
感謝の気持ちは伝わったのか?
そんな気持ちが今でも残っています。
感謝では足りない、感謝という言葉では軽すぎる。
私はシェルティを飼っていて自分がお世話していると思っていましたが、実は私がシェルティにお世話されていました。
私のお世話をしてくれたシェルティ
チャッピーさん
伏見稲荷大社は人が多くいました。
人は目に見えない存在を大切にし崇めますが、
目の前にいる存在に対しては、居るのが当たり前の存在としか思えないようです。
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